2026年3月の平日、広島城天守がまもなく閉城されると知り、実際に足を運んできました。
広島城は広島県広島市中心に位置するお城で、現在の天守は1958年の広島復興大博覧会で再建されたものです。その後博物館として長らく使われていましたが、再建より約68年立ち、コンクリート等設備の劣化が進んでいることから2026年3月22日に天守の閉城が決まっています。
せっかく広島城の歴史について知ることができたため、触れておきます。
【毛利氏について】
広島城の成立を理解するうえで、まず触れておきたいのが築城者である毛利氏の歩みです。
最初に広島城を築いたのは毛利氏です。この(安芸)毛利氏は鎌倉時代は相模国愛甲郡毛利荘(神奈川県)におり、その後は越後国(新潟県)に、そして南北朝時代には安芸国吉田荘(広島県安芸高田市)に移ったとされています。当時は有力な国衆の一つとされていましたが、毛利元就の代に周辺国衆を平定するだけでなく、出雲の尼子氏や周防の大内氏といった近隣の大勢力を滅ぼし中国地方の覇者となっています。
【築城から江戸時代】
広島城は戦国から江戸へと時代が移り変わる中で、城主を替えながらその役割を変えていきました。
広島城を築いたのはその孫の毛利輝元であり、時期としては豊臣氏が全国統一を目前にしつつあったタイミングです。当時の毛利氏は豊臣氏に従属しており、広島城の築城には畿内の豊臣秀吉の城を一部参考にしたとされています。その後、毛利輝元は関ケ原の戦いの結果として減封処分を被り、広島城を退去しています。替わって関ケ原の戦いで功績のあった福島正則が入城しますが、江戸幕府二代将軍徳川秀忠の時代に広島城の無断修築を咎められ改易になります。その後は浅野氏が幕末まで代々治めました。
【明治以降】
近代以降の広島城は、城郭としてだけでなく、軍事や復興の象徴としても重要な役割を担ってきました。
広島城は戦国から江戸へと時代が移り変わる中で、城主を替えながらその役割を変えていきました。
明治以降は広島城本丸には陸軍が駐屯し、日清戦争中には帝国議会(今の国会)が広島で臨時に開かれています。1931年には広島城天守閣が国宝に指定されました。しかし1945年8月に原爆により広島城一帯は壊滅しました。そして冒頭で述べた通り、1958年に天守は再建されます。
さて、ここまで広島城の歴史について触れてきました。詳しくは公式HPがあるためリンクを張っておきます。今回は天守に限った話をもう少しだけします。
天守は現在博物館になっており、非常に歯ごたえのある展示となっていました。広島の歴史や江戸時代の市民生活、広島がなぜ交通の要所なのかなど非常にわかりやすく展示してありました。もちろん明治以降も現在にわたるまで様々な形で紹介されていました。その中で関心したエピソードを一つあげます。
広島城ではかつてお堀の水質が悪かったため大規模な浄化工事をしたそうです。平成元年から5年かけ、もともとは閉鎖水域だった堀を太田川の水を引き込み、最後には還流するように変更したとのこと。これには相当な努力と労力がかかったことでしょう。天守から眺めた堀は自分の知らないところで作られているのだなぁと感じました。実際には、自分から見えないところで支えてもらっているものはたくさんあると思いますが、こうして一つだけでも知ることができると嬉しいですね。

最後になりますが、広島城天守は2026年3月22日までしか登れません。私は平日に行きましたが、沢山の人が並んでおり大混雑でした。もうお時間はあまりありませんが、行けるタイミングがあればいってみてはいかがでしょうか?
— カメビギ
