郡山城は「吉田郡山城」とも呼ばれ、広島県安芸高田市に位置する山城です。
戦国大名・毛利氏の居城として知られ、この地で行われた郡山合戦(1540年)において、毛利元就が尼子氏の大軍を退けたことは、後の中国地方での躍進につながりました。
郡山城は、険しい地形を巧みに利用した防御力の高い城であると同時に、川と陸路を押さえる交通の要衝でもありました。
実際に城跡を歩くことで、史料だけでは分かりにくい立地の強さや城の構造、そして当時の戦いの様子が実感できます。
今回は、そんな吉田郡山城を実際に巡りながら、その地理的条件、山城としての特徴、郡山合戦、そして毛利元就の思想に触れていきたいと思います。
【地理】
吉田郡山城が毛利氏の本拠となり得た背景には、その地理的条件の良さがあります。下の地図を見ると分かるように、郡山城は南西を多治比川、南東を可愛川に挟まれており、江の川水系を通じた舟運が可能な立地でした。
一方で、現在の中国自動車道にも近い内陸部に位置し、山陽と山陰を結ぶ陸路の結節点でもあります。
また郡山城の山頂部の標高は約390mで、麓からは約190mの高さがあります。
本丸を中心に放射状に広がる尾根にはたくさんの曲輪があり、その数は270以上もあります。
郡山城は、防御力の高さと交易の利便性を併せ持つ城であり、毛利氏の居城となった理由がうかがえます。
【山城として】
こうした地理条件を踏まえて実際に郡山城を登ってみると、この城が純粋な「山城」としても非常に高い完成度を持っていることが分かります。
現在は城跡としてよく整備されており、足場も比較的歩きやすくなっていますが、それでも急斜面が多く、攻め手にとっては容易ではない地形であったことを実感できます。
特に足場は整備されており、急斜面も多いものの登ることは可能です。
これが整備されていないと、登ることだけでも非常に大変だったろうと感じます。
斜面が急なため南側はつづら折りになっている部分があり、一方で山頂付近ではフラットな曲輪部分を多く構えています。
狭く急な登り口からは想像できないような城内に御蔵屋敷跡や井戸などがあり物資や人を蓄えることができたと考えられます。
西側は比較的傾斜が緩やかなため、つづら折りにはなっていませんが、それでも傾斜が急であり、道が狭いため注意が必要です。
また、古墳がいくつかありました。昔から人が住むには良い場所だったのかもしれません。

※つづら折り

※御蔵屋敷跡
【郡山合戦】
こうした地形と城の構造は、実戦においても大きな意味を持ちました。
天文9年(1540年)に起こった郡山合戦では、毛利元就率いる毛利軍が、この吉田郡山城を拠点として尼子氏の大軍と対峙することになります。
戦闘は小競り合いも含め、全体として毛利軍が有利に進めていきました。
郡山合戦当時の尼子軍は最初は吉田郡山城の北方の風越山に布陣したが、その後多治比川を挟んだ南西の青光井山に布陣しました。風越山から青光井山に尼子軍が本陣を移す際は、手薄になった青光井山を焼き討ちしています。また、青光井山では多治比川を渡った先にある郡山城攻めねばならず、尼子軍は三万ともされる兵力で何度か攻めますが、毛利軍は二千四百ばかりの兵力で時に防衛し、時に奇襲することにより尼子軍の被害は増加し戦線は膠着しました。その後、毛利支援のため大内軍の一万の援軍が可愛川を挟んで到着し、最終的には毛利・大内の連携攻撃により尼子軍は大きな被害をだし撤退を決定しました。
実際に郡山城から見ると尼子軍の青光井山はかなり近い位置にあります。この状態で長期間対峙しているとストレスですぐにまいってしまいそうですが、しっかり内部統制できていた毛利元就の凄さを感じます。
詳細な陣位置などは最近の研究報告があったため参考に載せておきます。(場所の名前がそれぞれ若干異なったりしますがご容赦ください)

※見取り図

※展望台よりの景色
【毛利氏】
ここには毛利一族の墓があります。見て驚いたのが非常に苔があることです。苔は成長するためには非常に時間がかかることもあり、丁寧に管理されているのだと感じました。静かで鳥の声ぐらいしかせず、墓所として良い場所だと思いました。また、ここには有名な百万一心の石碑がありました。吉田郡山城の普請に際し、毛利元就が掲げたとされる言葉で、文字を分解し「一日一力一心」と読ませ、皆で心を一つにすることを説いたとされています。また、江戸時代には周防・長門(現在の山口県)に転封された毛利家家臣は機会があるごとに郡山城に墓参りに参ったそうです。歴史的にも非常に長く大切にされてきた場所だと感じられました。

※毛利家墓所

※百万一心の石碑
【城をめぐってみて】
郡山城は、ルート的に山全体を一周することができる大規模な山城です。
実際に歩いてみると、270を超える曲輪が連なる構造や、急峻な斜面と緩急をつけた登城路など、地形を最大限に活かした城づくりを強く感じました。
道はよく整備されているものの、体力を要する箇所も多く、この地形そのものが強力な防御となっていたことが実感できます。
郡山城の麓には、三本の矢の碑や安芸高田市歴史民俗博物館など、毛利氏にゆかりのある史跡が点在しています。
とくに安芸高田市歴史民俗博物館では、毛利氏の歴史や地域の文化について理解を深めることができ、城跡を歩いた後に訪れることで、郡山城という存在がより立体的に感じられました。
実際に郡山城を巡ることで、史料だけでは分かりにくい地形の強さ、城の構造、そしてこの地で毛利元就が戦い抜いた意味が見えてきます。
吉田郡山城は、まさに毛利氏躍進の原点を体感できる山城だと感じました。
— カメビギ

