萩城は山口県萩市にある毛利氏の居城です。
阿武川の河口のデルタ地帯(三角州)に築かれており、指月山を活かしての総構えです。
三方を山に囲まれ、さらに堀があり、北西のみが海ですがそこには指月山(標高145m)が鎮座します。
そんな鉄壁ともいえる毛利氏の本拠に雨が降りしきる秋に訪れました。
【築城経緯】
毛利輝元は関ヶ原の戦いにて西軍の総大将であり、大阪城に入城していました。
しかし関ヶ原で西軍が大敗し、直接戦場にでていなかった毛利輝元は徳川家康と所領安堵を条件に大阪城を退去しています。
この時の所領安堵は毛利輝元が積極的に西軍に加担していないという説明でなされていました。
その後、大阪城に入った徳川家康は毛利輝元が西軍の主導的役割を果たしていた証拠を発見します。
毛利輝元は改易されかけましたが、家臣である吉川広家のとりなしもあり、周防・長門の二か国への減封で済みました。
本拠を広島城から移転するため、新たに築かれた城が萩城になります。広島城については過去に取り上げているためそちらをご覧ください。
【萩城】
現在の萩城は天守などの建物は残っていませんが、城郭の骨格をよく伝える遺構が多く残されています。
城内を歩くとまず目につくものは大きな石垣です。非常に大きく綺麗に整えられています。
そして至る所で使われています。
北側の指月山の花崗岩や、海をはさんで4~5㎞北東に位置する「笠山」の安山岩が使用されています。
石の現地調達が容易だったことから非常に多くの石垣が築かれています。

※石垣の様子
その石を活かして大きな天守台が現存しています。
当時は5層5階の白亜の複合式望楼型天守があったとされ、明治時代まで残っていたとのことです。
天守台に登ってみると基礎石が残っており、天守の大きさが想像されます。
天守台からの風景は遠くまで見えており、萩城の大きさを体感できます。

※天守台

※天守台の礎石

※天守台からの風景
萩城内には花江茶亭(はなのえちゃてい)とよばれる茶室があります。
元々は三の丸にあった茶室を本丸に移築したそうです。
庭には石灯篭などがあり、雨の中でも黄色いツワブキの花が綺麗に咲いていました。
花江茶亭は今も不定期で開庵し、呈茶席を実施しているそうです。

※花江茶亭

※花江茶亭の庭(石灯籠やツワブキ)
本丸北側にある志都岐山神社へ至る道に万歳橋(ばんせいばし)があります。
中国上代の形式を模倣した花崗岩でできた石橋で、元々は藩校である明倫館にあったものが移動されています。

※万歳橋
北東にある二の丸には東園とよばれる回遊式の庭園があります。
ここでも石でできた橋を渡ることができ、落ち着いた雰囲気を楽しむことができます。
6代藩主毛利宗広(1717~1751)の時につくられたそうです。

※東園の様子
東側は日本海に面しており浜辺となっている。
城側と浜辺を石垣で分断しており有事と平時の両方に備えられていると感じた。
有事は浜辺に敵が上陸してきても門と石垣、そして石垣の上にある銃眼付きの土塀で防御ができる。対して敵は浜辺には遮るものがないため一方的に攻撃されると思われる。
平時は広い浜辺を使って海上輸送されてきた物資が、容易に場内に運びこめる位置にある。
非常に良い立地だと感じた。

※二の丸東の浜辺(一部砂浜になっており舟をつけやすい)

※門跡と浜辺に沿って築かれた石垣と土塀

※土塀の高さから見た浜辺
【感想】
萩城は日本海に面しており、三方を山に囲まれている。道中ではとても大きな城があるような印象は受けなかった。しかし萩に着くと非常に大きな石垣と街並みがあり、綺麗に整備された大きな城だった。
今回は天気と時間の都合上、萩城しか回れなかった。
しかし城そのものに加えて城下町も含めて歩くことで、萩という町の成り立ちがより深く感じられそうだ。
幕末の有名人たちも多く輩出しているため、次は違った視点で回ってみたい。
— カメビギ

